現在は、プロフィギュアスケーターとして活躍中の浅田真央さん。
現役時代は、類まれな才能と抜群の人気を誇り、世界中のファンから愛されました。
浅田真央さんのフィギュアスケーター時代、ノービス・ジュニア、シニアデビュー15歳からバンクーバーオリンピック19歳までの成績とプログラムをシーズン毎にまとめてみました。
衣装やコーチ、エピソードも交えています。
浅田真央さんファンの方はもとより、現役選手時代の浅田真央さんをよく知らない、という方にも読んで頂けたらうれしいです!
【浅田真央ストーリー】ノービス時代は敵なし!特例で全日本選手権にも出場
*成績*
2000-2001、2001-2002シーズン
ノービスB(9~10歳のクラス) 9歳~10歳
全日本ノービスB選手権:優勝
2002-2003、2003-2004シーズン
ノービスA(11~12歳のクラス) 11歳~12歳
全日本ノービスA選手権:優勝
浅田真央さんは、5歳から姉の舞さんと共にフィギュアスケートを始め、地元名古屋の名東フィギュアスケートクラブ、10歳からグランプリ東海クラブに所属していました。
小学6年生の時に、特例で全日本選手権に出場し、完全ではありませんでしたが、3回転ジャンプを連続3回コンビで決め「天才少女」として有名になりました。
【浅田真央ストーリー】シニアデビュー15歳/いきなりグランプリファイナルで優勝!
*成績*
2005-2006シーズン シニア1年目 15歳
GPファイナル:優勝
全日本選手権:2位
*プログラム*
SP:カルメン
振付:
山田満知子、
樋口美穂子
FS:
くるみ割り人形
振付:
ローリー・ニコル
コーチ:山田満知子
シニアデビューは15歳。
それまで「トリプルアクセルを跳ぶ天才少女」として注目されていましたが、いきなりのGPファイナル優勝は世界を驚かせました!
当時、史上最年少の記録でした。
【浅田真央ストーリー】(シニア2年目)16歳/本拠地をアメリカへ移し、コーチも変更
*成績*
2006-2007シーズン シニア2年目 16歳
GPファイナル:2位
日本選手権:優勝
世界選手権:2位
*プログラム*
SP:
ノクターン第2番変ホ長調
振付:
ローリー・ニコル
FS:チャルダッシュ
振付:
ローリー・ニコル
コーチ:
ラファエル・アルトゥニアン
シニア2年目は、練習拠点を、
アメリカ・カルフォルニア州レイクアローヘッドへ移しました。
当時、十分に練習できる、専用のスケートリンクがなかったことが、大きな理由のようです。
新しい練習拠点で、初の外国人コーチ、選手専用のリンク、初の世界選手権、と初めてづくしのシーズンでした。
【浅田真央ストーリー】(シニア2年目)16歳/専用のリンク
レイクアローヘッドは、LAから車で3時間ほど離れたリゾート地で、オリンピック選手も多く輩出した有名なスケートリンクがあります。
それまで、日本の混雑したリンクで練習していた真央さんは、選手専用のリンクで毎日思う存分滑ることができ、充実している、と当時、話していました。
【浅田真央ストーリー】(シニア2年目)16歳/新しいコーチ
コーチもラファエル・アルトゥニアンさんに変更しました。
多くのメダリストを育てた経歴を持つ、有名なロシア人コーチで、現在は男子シングルのネイサン・チェン選手のコーチとして知る方も多いのではないでしょうか。
【浅田真央ストーリー】(シニア2年目)16歳/難しいつなぎからのトリプルアクセル
今シーズンは、難しいつなぎから入るトリプルアクセル(ステップからジャンプに入る)に挑戦しました。
ステップからジャンプを跳ぶということは、滑ってきた勢いで跳ぶのではなく、一度勢いを止めてからジャンプするため、とても難しい技になります。
その為、高い点数は期待できるのですが、失敗するリスクが高いのです。
ですが、真央さんは新しい技に挑戦し、向上していきたいと考えていました。
シーズン中、なかなか成功させることができず苦しみましたが、全日本選手権では見事成功させ、優勝し、大粒の涙を流しました。
【浅田真央ストーリー】(シニア2年目)16歳/初めての世界選手権
GPファイナルは昨シーズン出場しましたが、世界選手権は初めての出場でした。
世界選手権はオリンピックと同じく、出場資格が15歳以上(大会直前の7月1日時点)と定められているためです。
初めての最高峰の大会に、心躍らせた真央さんでしたが、SPではジャンプや他のミスが重なり、5位に。
しかし、気持ちを立て直し、望んだFPでは、冒頭のステップからのトリプルアクセルを成功させ、ほぼノーミスで、当時の女子シングル最高得点33.13を叩き出しました。
結果は惜しくも2位でしたが、次のシーズンに繋がる大会でした!
【浅田真央ストーリー】(シニア3年目)17歳/念願の世界選手権で初優勝!
*成績*
2007-2008シーズン 17歳
GPファイナル:2位
日本選手権:優勝
四大陸選手権:優勝
世界選手権:優勝
*プログラム*
SP:
バイオリンと管弦楽のためのファンタジア
振付:
タチアナ・タラソワ
FS:幻想即興曲
(ショパン)
振付:
ローリー・ニコル
コーチ:
ラファエル・アルトゥニアン
シニア3年目。
SPの振付は、フィギュアスケート界の重鎮、ロシアのタチアナ・タラソワさんが担当しました。
タラソワさんは、後のコーチとなり、バンクーバーオリンピックをともに目指すことになる人です。
このシーズンは、GPファイナルこそ優勝を逃したものの、他の国際大会では全て優勝を果たしています!
【浅田真央ストーリー】(シニア3年目)17歳/GPファイナル
GPシリーズは、カナダ大会とフランス大会に出場しました。
どちらの大会も優勝し、GPファイナルの切符を手にしました。
順位だけ見ると、順調に勝ち進んだように見えますが、真央さん自身は、「2大会ともSPがうまくいかず、トリプルアクセルも失敗したり」、中々思うような演技ができず、悔し涙を流したそうです。
GPファイナルのSPでは、ミスが重なり最下位の6位。
しかし、気持ちを奮いたたせ、翌日のFPでは、トリプルアクセルを2度決め、銀メダルに輝きました。
【浅田真央ストーリー】(シニア3年目)17歳/世界選手権で初優勝!
このシーズンは念願の世界選手権初優勝を果たしました!
FSの冒頭、トリプルアクセルを跳ぶ構えからスリップし、転倒しましたが、
ミスを引きずることなく、その後はほぼ完璧な演技を披露し、観客から拍手喝采を浴びました。
最終演技の選手が滑り終え、電光掲示板に「1位MAO ASDA」と表示された途端、真央さんの顔が崩れ、泣き顔に変わったのが印象的でした。
【浅田真央ストーリー】(シニア4年目)18歳/拠点を日本に戻し、タチアナ・タラソワコーチに
*成績*
2008-2009シーズン 18歳
GPファイナル:優勝
全日本選手権:優勝
四大陸選手権:3位
世界選手権:4位
*プログラム*
SP:月の光
(ドビュッシー)
振付:
ローリー・ニコル
FS:仮面舞踏会
振付:
タチアナ・タラソワ
コーチ:タチアナ・タラソワ
シニア4年目。
拠点を日本に戻し、コーチもタチアナ・タラソワさんに変更しました。
このシーズンは、バンクーバーオリンピック前哨戦の年として、真央さんだけでなく、他の選手も、オリンピックを見据えたプログラム作りをします。
FSでは、これまでのイメージとは違うヒロインを演じ、GPファイナルを連覇しました!
シニアデビューから4年目が経ち、年齢を重ね、試合での経験値も上がり、
フィギュアスケーターとして成長していく真央さんです!
【浅田真央ストーリー】(シニア4年目)18歳/新しいコーチ
新コーチは、昨年のSPの振付を担当した、タチアナ・タラソワさんです。
多くのメダリストを育てた実績のあるロシアのコーチで、申し出はなんとタラソワさんからだったそうです。
前コーチのラファエル・アルトゥニアンさんは、元々、ジャンプなどの技術面のコーチでした。
真央さんサイドとしては、全面的なプロデュースを任せられる人を探していたことから、合意となったようです。
【浅田真央ストーリー】(シニア4年目)18歳/オリンピック前哨戦
今シーズンは、オリンピックの前哨戦。
オリンピックを見据えたプログラム作りが行われ、FSはコンビを含めた2度のトリプルアクセルが入る高難度のジャンプ構成となりました。
FSのプログラム「仮面舞踏会」は、これまでの真央さんの可憐なイメージと違い、大人の女性の雰囲気で、悲劇のヒロインを演じました。
黒のコスチュームが印象的で、年齢を重ねた真央さんにとても似合っていました!
【浅田真央ストーリー】(シニア4年目)18歳/GPファイナル連覇
GPファイナルは韓国で行われ、地元韓国のキム・ヨナ選手とのライバル対決が話題になりました。
結果は、FSで2度のトリプルアクセルを成功させた、真央さんの優勝となりました!
一つのプログラム中、2回のトリプルアクセル成功は、当時の女子シングル史上初の記録でした。
【浅田真央ストーリー】(シニア5年目)19歳/バンクーバーオリンピックに出場!
*成績*
2009ー2010シーズン 19歳
全日本選手権:優勝
四大陸選手権:優勝
バンクーバーオリンピック:
銀メダル
世界選手権:優勝
*プログラム*
SP:仮面舞踏会
振付:
タチアナ・タラソワ
FS:鐘
(ラフマニノフ)
振付:
タチアナ・タラソワ
コーチ:
タチアナ・タラソワ
シニア5年目は、オリンピックイヤー。
年齢制限で出場が叶わなかったトリノオリンピックから4年、待ちに待った
バンクーバーオリンピックが迫ってきました。
オリンピックに出場すること、そして金メダルを獲ることを目標に、練習に励んできた真央さん。
胸をときめかせると同時に、周囲の金メダルへの期待から、プレッシャーを強く感じるようになります。
武器であるトリプルアクセルの成功率も下がり、スランプ状態に。
しかし、全日本選手権で見事復活し、バンクーバーオリンピックの切符を手にしました!
【浅田真央ストーリー】(シニア5年目)19歳/金メダルを獲るためのプログラム
オリンピックで「金メダル獲るべく構成されたプログラム」は、SPにトリプルアクセルを1度、FSにコンビを含めた2度のトリプルアクセルを跳ぶという、女子シングル史上初の試みが成されました。
また、このシーズンは、苦手のジャンプ、サルコウ、ルッツをプログラムに入れず、「3回転-3回転のコンビジャンプ」も組み込まず、SP/FSで計3回のトリプルアクセルを跳ぶことを重点としたプログラムが組まれました!
【浅田真央ストーリー】(シニア5年目)19歳/仮面舞踏会
SP「仮面舞踏会」は、昨シーズンFPと同曲ですが、ジャンプ、振付などのプログラム構成、テーマにおいては全く違っています。
昨シーズンの物語テーマは、不貞を疑われ夫に毒殺される妻の悲劇の物語、
今シーズンは、悲劇が起こる前の、舞踏会に赴いた妻の高揚感を描いた物語。
衣装も真逆で、昨シーズンは「黒のコスチューム」、今シーズンは「赤やピンクのコスチューム」で表情も対称的です。
【浅田真央ストーリー】(シニア5年目)19歳/スランプと復活
トリプルアクセルが鍵となるプログラムでしたが、シーズン始めからこのジャンプに苦しみました。
GPシリーズでは一度しか決められず、シニア以降、初めてファイナル進出を逃しました。
トリプルアクセルが鍵となるプログラムで、トリプルアクセルが決まらない、これは並大抵のプレッシャーではなかった筈です。
当時、真央さんにジャンプなどのテクニカル専門コーチは付いておらず、真央さんは一人苦しみます。
初めてのスランプに苦しみ続ける真央さん。
ある日の練習後、ついに真央さんの気持ちは折れてしまいます。
幼い頃からずっと、オリンピックが夢だったのに。もう間に合わない、もう無理・・・。
「浅田真央 さらなる高みへ」吉田順 著 より抜粋
そこへ姉の舞さんが、声をかけました。
「疲れてるんだよ、きっと」
「浅田真央 さらなる高みへ」
吉田順 著 より抜粋
その言葉を聞いた途端、真央さんの目からどっと涙が溢れました。
そして、舞さんは言いました。
「今まで10年以上もやってきて、何回トリプルアクセル跳んだの?
「浅田真央 さらなる高みへ」
小学校5年生から練習してきて、何万回って跳んでるんだよ。
それだけ練習してきたのに、一週間とかで跳べなくなるほうが、逆にすごいわ」
吉田順 著 より抜粋
その日は練習を早く切り上げ、舞さんと真央さんは、食事に行ったそうです。
GPファイナルに出場できなかったことも「練習時間が増えた」と前向きに受け止め、そうやって過ごすうち、
「スケートが好き、楽しい」という気持ちが蘇り、真央さんは調子を上げていきました。
迎えた全日本選手権では、優勝!
見事オリンピック代表に決定し、その後の四大陸選手権では、FSで2度のトリプルアクセルを成功させ、完全復活しました!
【浅田真央ストーリー】(シニア5年目)19歳/バンクーバーオリンピック!
日本中が固唾を呑んだバンクーバーオリンピック。
SPで見事トリプルアクセルを成功させ、ほぼノーミスの演技で2位につけました。
翌日のFSでも、コンビとシングル計2回のトリプルアクセルを成功させ、女子シングル史上初の快挙を成し遂げました。
ところが、その後の3回転フリップが回転不足、3回転トウループが1回転になるなど、ジャンプのミスが続き、ステップ、スピン、ステップなど演技構成点は高かったものの、結果は銀メダルに。
金メダルには惜しくも届きませんでした。
【浅田真央ストーリー】(シニア5年目)19歳/銀メダルだって凄いんだよ
悔しさを滲ませた真央さんでしたが、
初めてのオリンピックで、見事、銀メダルに輝いた娘に、お母様からこんな言葉がかけられました。
「真央、金メダルじゃなくたって、すごいんだよ。
「浅田真央 さらなる高みへ」吉田順 著 より抜粋
だってオリンピックだったんだから」
この言葉で、真央さんは結果を素直に受け止め、素直に喜びを感じられるようになりました。
その後の世界選手権では、オリンピックでの悔しさを晴らすような完璧な演技を披露し、優勝!
こうして真央さんは、初めてのオリンピックシーズンを終えたのでした!